縮退と膨張。自己内在からの広がり。虎を好きになった夢。

夢が現実を変えうるのか

今日はいい夢を見た。

虎と仲良くなる夢だ。

自分の身の丈を超えるような巨大な虎の横に立っていた。

虎が大きく吠えた。

恐ろしさに体を震わせながら、しかし畏怖を感じ、そして自分も吠えた。

自らの存在を示すように。お前の横に立つ人間は俺なのだと見せつけるように。

すがすがしい感情だった。

満足の中で夢から目を覚ます。

残ったのは感動と虎への絵も言えぬ好感であった。

ありていに言って、今日の夢が理由で虎という動物が好きになった。

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夢幻が現実に影響を与えたという事実

今まで夢が僕の現実で影響を与えたことはなかった。それは夢は夢であり現実ではないという当たり前の感覚が強かったからだ。

性的な夢も見たことがあるが、それが現実に影響を与えたこともない。

一方で逆は往々にして存在する。

現実に起きたことが夢になるといえば知り合いが夢に出てくるなんてことはよくあることだろう。

だからこそ今回の虎の夢は自分にとって驚きに値する夢であったのだ。

なにせ自分は虎という動物をここ数年で意識した記憶がほとんどないからだ。

今回の夢は現実に存在しなかった動物が夢に現れた上に、夢が覚めた後で現実の世界で改めて虎を意識することになったという特異性がある。

言語化できていない感覚

とは言えこの感覚をうまく表現できる気がしない。

特異的ではあると思うのに何がそんなにおかしいと感じているのかが正確に理解ができていない。

理性が、「そういうことだってあるだろう」と言っているのに感情は「いや、何か今までと違う部分があるはずだ」と言って憚らない。

メタ的に考える

となるならば、感情がいていることが全てなのではないだろうか。

つまり、人間は今まで直面したことがない経験をするとその経験に対して違和感を覚えるようになっているということだ。

そう考えれば理性と感情は矛盾しない。

各々が各々の役割を果たした結果である。

ということはただ単に’そういうこともある’だけのなのだろうか。

感覚の理由は自分の中では納得ができた。では、最後に理性に対して問いかけを行わなければけない。

理性よ、お前は本当に正しいのか?理性的であるだけで本当は正しくないのではないか?

この問いかけこそが、今回の話で一番肝心な部分だと考えている。

しかし答えが出せない。

候補はある。

夢というものは記憶をランダムにつなげて映像を作っていてその中で面白い、言い換えれば自我が興味を持つ映像を生成してしまったときにたまたま今回のような事例が起きるのではないかと考えた。

しかし、そうなるとやはり自我が興味を持つものは何なのかという問いにたどり着いてしまい、その問いの答えは今回考えたいことから離れて行ってしまう。

今回はここまで。今回のは日記なので飽きたところで切ります。

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