【行動経済学】人の心は予測のせいで正しい判断ができない!それってどういうこと?

人は見たいものを見たいように見てしまう

 

どうも、ななめです。今回は予測してしまうことの影響について書いていきたいと思います。と言われても、このままではたぶん何の話か分かっていただけないと思うので、一つ例を挙げたいと思います。

 

あなたは大の野球ファンで特にジャイアンツを応援していました。今日も友人と一緒にお酒を飲みながら野球を見ることになっています。

 

その友人とは長い付き合いで話も趣味もとてもよく合いました。ただしたった一つだけ合わないものがありました。応援する野球のチームです。彼はタイガースのファンだったのです。

 

その日はちょうどジャイアンツ対タイガースの試合でお互いが応援するチームだったので二人にも熱が入ります。タイガースが一点勝ったまま九回裏、ジャイアンツの攻撃。

 

満塁のチャンスでピッチャーは内角ギリギリの球を投げ、バッターは振りませんでした。判定はストライクでしたが、ジャイアンツの監督が今の球はボールだっただろうと抗議に行きました。

 

あなたは

「あの審判の目は節穴だな。今のは明らかにボールだったよな。」と友人に声を掛けます。

 

しかし、友人の反応は違いました。

「いや、今のはストライクだったね。やはりあのピッチャーはいい球を投げる。」

 

 

どうして同じ現象を見て二人の意見が真逆になるのか。

 

この野球の話を読んでどう感じるでしょうか。客観的に見ると、二人とも自分の応援しているチームに対して贔屓目で見ているなと思うことでしょう。

 

ですが本人たちは自分の目を信じていることでしょう。なにがこのようなことを引き起こしているのでしょうか。

 

物事の本質よりも期待した内容に判断を任せてしまう

 

信じられないかもしれませんが、このことは事実です。プラセボ効果なんかがその最たるものです。

 

一応説明しておくとプラセボ効果は何の効果もない薬を、あたかも良く効くかのように説明して患者に飲ませると、実際に症状が緩和することがあるといったものです。

 

通常プラセボ効果は日本語訳で偽薬効果なんて呼ばれたりしますが、実は手術なんかでも起こることが確認されています。おなかを開いて閉じただけで腹痛がなくなったりすることもあるのです。

 

症状が緩和したりするぐらいなんですから、ストライクとボールの違いなんてのは人間にとって些細な問題でしょう(本人たちにとっては違うかもしれませんが)。

 

人間がいつも正しい判断を下せるかどうかなんてものはあまり信用ならないように感じます。

 

見た目というのもこう言った影響を与える一因になります。スターバックスのコップに入っているコーヒーと、百円均一の紙コップに入っているコーヒー。あなたはどちらがおいしいと思うでしょうか。

 

あてにならないならそれを利用しちゃいましょう。

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